nonbinary building peace

続くかは不明/タイトルはbbc podcastのプログラムwomen building peaceより

from the land of sorrow

あまりにもきついので(今かかっている別の病院の医師がだしてくれた薬が、ちょっと体調に合っていないようなのだ)病院に行った。

ピルを処方してもらった。

症状が軽くなるといいな。

院内処方めちゃくちゃ楽だな!!

病院の会計と薬もらうのがいっぺんで済む!!!

なんだよ どこでもこうしてくれよ!!

いつもの病院は診察後の会計を待ち、

その後、病院とはべつの薬局で待ち(待つのはいいのだが、

かかっているテレビのワイドショーがろくでもなさすぎて苦痛だ...)

なんだかんだで時間がかかる。

なんで待合室にはテレビがあるんだろう。

わたしは音に過敏なので、苦痛でたまらない。

 

ipadと本を2冊入れたら、以前からいたんでいた鞄の取っ手がとれてしまった。なんてこったい。

もともと、あまり頑丈なつくりの鞄ではないのだろう。

コンパクトなもの、軽いものがよしとされるのはわかるが、

どうしてもわたしは、本もipadも水筒も持ちたいのだ。

頑丈な布のリュックがわたしにはお似合いなのかもしれない。

雪道では、とくに両手はあいていたほうがいいし。

 

本屋でOcean Vuongのインタビューの載った冊子をもらってきた。

日本語訳を読みたいのだが、図書館になかなか入らない。

新潮社の本は、わたしはしつこく不買運動をしている。

 

予算がないためだろう、図書館に外国文学はなかなか入らない。

気長に待とう。

レベッカソルニットも、定価で本が買えなかった頃は、古本屋をめぐったり、

図書館に入るのを待ったと書いていた。(「私のいない部屋」を最近読んだ。)

値段を気にせず本を買っていたこともあったが、

今の環境ではそういうわけにもいかず、なにより置き場所が限られるため、

もっぱらいくつかの図書館に、わたしも通っている。

 

最近、ずっと使っていたSNSと少し距離を置くことにした。

いろんな人と知り合えて、オンラインでチャットしたり、オフラインで待ち合わせてお話させてもらったりもした。

アカウントを作らなければ一生知り合えなかった人たちと会えた。

ただ、今はひたすら疲れてしまった。

あまりにも。

でも文章を書くことで、たまった滓(おり)、膿のようなものを吐き出せる感覚がある。

パソコンをつけることすらできないときもある。

そういうときはノートにペンでなにかしら書く。

以前、心療内科認知行動療法というのを受けたときに、モニタリングというやり方をならった。それの延長のようなものかもしれない。

 

心療内科、精神科、脳神経外科、いろいろありすぎて、複雑すぎて、自分がどこにかかるべきなのかいまだによくわからない。

最初から、「あ、ここがつらいからこの科だな」なんてわかったら、その人は自分で医者になれそうである。

わたしが言いたいのは、どこか、なにかしら調子が悪くて、しんどくて、

医者に相談に行く人のことを、偏見のまなざしで見るようなことは、頼むからやめてほしいということだ。period.